配電盤  マスター  2003-11-25 19:58:00  No.75

 配電盤について語る。
 1973年のピンボール(村上春樹著)の中で、雨の日に僕と双子が古くなった配電盤を溜池に捨てに行くシーンがあった。多分集合住宅の電話の配電盤だ。配電盤というのは、さまざまな線が繋がりそれらの関係を司るものだ。配電盤を中心に複雑な関係が構築されている。しかし、配電盤が古くなったら交換する。なぜなら、配電盤は他の所にもたくさんあって、信頼性の低い古い配電盤から交換していかないとシステム全体に悪影響を与えかねないからだ。交換は簡単なことだ。線を切る。古い配電盤を取る。新しい配電盤を置く。線をつなぐ。それでおしまいだ。
 しかし、古い配電盤は行き場を失う。古い配電盤は死にかけていて、繋がれていた線もすべて切られてしまったのだ。別の線を繋いでそれらの関係を新しく構築するには古くなりすぎたしシステムは古い配電盤なしで既にフルに機能しているのだ。それでも古い配電盤を死なせたくない。だからといってどうすればよいのだろう。たしかに雨の日に溜池の底に葬るしかないのかも知れない。
 古い配電盤にも配電盤としてのプライドがあった。駆け出しの頃は少し戸惑ったが、与えられた仕事を地道にこなし、複雑に入り組んだ回線の関係を熟知するようになり、慣れるにしたがって作業は速くなり、かすかな信号でも線と線を的確に結び、その仕事振りは職人技と言われるまでになった。他の配電盤や繋がっている回線からも尊敬されるようになり、お中元やお歳暮までもらうようになった。古い配電盤は自分の能力がシステムを維持するために不可欠であると考え、誇りを持って仕事をした。自分が今、配電盤をやめてしまったら大変なことになる。なぜならこれだけの仕事ができる配電盤は自分以外にないはずなのだから。そんなふうに思いながら少しずつ老朽化していく体に鞭打って日ごとに複雑化していく線と線の関係を懸命に維持しつづけた。
 交換の日は、ある日突然だった。あっという間に自分に繋がっていた線がすべて切られた。古い配電盤はあっけにとられた。自分に交換の日が迫っていたことを知らされていなかったからだ。線が切られたときにはじめて交換とわかった。古い配電盤は慌てたけれども、次の瞬間冷静さを取り戻した。新しい配電盤に引継ぎをしなければならない。自分の今までの経験から学んだ多くのコツのようなものを新しい配電盤に伝えておかなければならない。そうしないと新しい配電盤は戸惑うだろう。ひいてはシステム全体にもトラブルが生じかねない。最近になってやっとつかめたことだが、赤い回線からの信号は一呼吸置いてから他の回線に繋がないと時々パンクするんだ。それ以外にも大事なことはいっぱいある。だから、時間もないし、かいつまんで要領よく説明しようとした。しかし、説明しようにも取り付けねじがはずされて古い配電盤は床に放り出されてしまっていた。「一つだけどうしても伝えたいことがあるんだ。これは個人的なことなのだけれど、黄色の回線に頼まれていたことがあるんだ!」と古い配電盤は叫んだのだが、既に新しい配電盤は古い配電盤の何十倍ものスピードで仕事をテキパキとこなし始めていたし、古い配電盤の話を聞いている暇もないようだった。
 古い配電盤は溜池の底に沈んでいく自分の体が空っぽになってしまったように思えた。溜池の底についたとき、自分に向かってくる信号はもう何もないと感じた。自分が繋ぐべき信号はこの先もう何もないのだ。古い配電盤は自分の体が自分のものとは思えなかった。形はあっても何もないと思った。


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