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目次

     ☆ いるか喫茶のBGMについて (2001/10/02)
     ☆ Ballads は語る (2001/10/02)


いるか喫茶のBGMについて (2001/10/02)

 バックストリートボーイズが流れたかと思えば次の曲はショパンのノクターン。コルトレーンのサックスがうたいだした後に何故か坂本九。支離滅裂のようでいて妙に違和感がない。一貫しているのはどれもゆっくりしたいい曲。クラッシック、ポップ、フォーク、カントリー、ロック、ジャズ、レゲエ、ラテン、ケルト、ラップ、ヒップホップ、テクノ…などというジャンル分けは便宜上のもの。知ってる人にまかしとけばいい。いいものはいい。理屈は不要。ややこしい流儀みたいなものや歴史みたいなものや思想みたいなもんがあろうとなかろうとそんなことはどうでもいい。いい曲は無条件にいいのだ。人を好きになるのと同じ。どこまでもきれいなメロディーライン、ひたれるヴォーカル、イメージを喚起させる歌詞、渇きを潤すような演奏、ドラマの挿入歌のように状況と感情に呼応するアレンジ、鳥肌が立つほどかっこいいアドリブ、忘れていた遠い昔の香りがあたりにたちこめるような曲調。そんなのが流れてくればジャンルがあわないからと言って耳をふさぐことはない。澄みきった流れに魂をひたらせるような音楽は古今東西良い。例えばオペラ以外は音楽じゃないってこだわってる人が居てもいい。カントリーしか聴かないという人が居てもいい。個性を主張するのは気分が良ければ自由。ただし、ポピュリズムに流されてないよって格好をつけてるだけならそれは妙な消耗だし、逆にコンプレックスあるんじゃない?って疑いたくなる。最も始末に悪いのは独善的な個性の押し売りで全てを一色に塗りこめる事。○○○○大統領みたいで良くない。主張が強いか内に秘めるかの違いはあっても個性は誰にでも当たり前にそなわってる。誰だってOnly One なのだから。
 言うまでもないことだけど。コーヒーひとつとってもホットであろうがアイスであろうが、ストレートであろうがブレンドであろうが、ブラックであろうがフレッシュや砂糖を入れようが、アメリカンスタイルであろうがヨーロピアンスタイルであろうが茶道じゃあるまいし裏も表も王道も邪道も何もない。気分が良けりゃそれでいい。ジャンルにこだわりのないゆっくりした音楽の音楽喫茶、それがいるか喫茶。
 ピッタリくればそれがBestだけど音楽となればピッタリくるかどうかはとてもプライベートな条件をはらんでいて人それぞれ千差万別。限られた曲数でBGMを構成するとなれば結局のところ僕の独断と偏見になってしまいます。でも、できるだけ多くの人にピッタリくるようにということを考えれば、ゆっくりした曲ならいいんじゃないでしょうか。ただし、癒し系はちょっと遠慮したい。眠くなるので。もちろん発散系は別の場所の方がいいと思う。そんなふうに選んだいるか喫茶のひたり系BGM。ライブラリーは今のところ2千曲程度です。その中で、もし今あなたがこれにひたりたいという曲があれば是非リクエストしてください。どのような個人的な理由でリクエストされたとしてもその曲は、いるか喫茶にとってBestです。



Ballads は語る (2001/10/02)

 懐かしさに
 ぼんやりバスを降りた
 橋の上 霧雨の水銀灯 … 
 この歌いい。
 でも特に思い入れのない人にはどうでもいい歌かもしれない。
 誰にだって語るに足りる人生がある。でも、そうそう語れるものでもない。言葉にすると、とんでもないほど薄っぺらくなりそうな気がするからだ。「ふーん。」、「ああ、そう、それで?オチは?」でおしまいみたいな。そんな、どうでもいいもんじゃないのに。わかろうとしてない人に語ってしまったりすれば後悔するだろうし、それは永遠の消耗だ。いるか喫茶では、そのような種類の消耗が決してあってはならないのだ。(なんか堅いな。それに理解し難い。)
 亀岡に超こだわりの蕎麦屋さんがある。初めて入ったら何を食べるべきか決められている。お品書きから選べるのは何度か通ってからだ。それだけ自信を持ってるだけあって確かにおいしい。店主の気にさわることでもしたら「金は、いらないから出て行ってくれ。」って言われそうだ。そういう店がある。
 昔、からふね屋ができた頃、飲んだ帰りに入ってボックス席で片足だけ靴を脱いで「半あぐら?」をかいてた。そしたら、ウェイターさんに「足を下ろしてください。」って注意された。すみませんでした。無作法なもんで…。(今でも注意されるんだろうか。試してみる価値はないと思うが。)そういう上品な店があるのもいい。
 ある茶店のハムトーストがおいしいと聞いて期待して行った。入ったら常連さんだけで固まってそこに居る人全員に頭からつまさきまでじろっと見られた。僕はそんなこと無視して、あいてる席に座ろうとしたらマスターに
 「すみません満席です。」って言われた。
 よほど僕は招かれざる客だったんだろうな。そういう店もあっていいけど今はないみたいだ。
 近所にジャズ喫茶があって何度か行ってからキース・ジャレット「ケルン・コンサート」をリクエストした。そのアルバムが鳴り出したら客席がざわめきだして、すぐ前の数人のグループは「誰だこんなんリクエストしてんのは」とか「あんなの誰でも弾けるよな。」とか大声でしゃべってた。僕はとんでもない事してしまったと思った。まあ、そういう店もあっていい。
 ちょっと前、北山通り沿いの凄い音響設備の茶店に入った。スピーカーはタンノイか何かでアンプは真空管。マイクロのターンテーブルにオルトフォンのカートリッジ。凄いですねって言った。そう言うべき雰囲気だった。もちろんそういう店はありつづけてほしい。
 ある小さなレストランでカンガルーの肉を食べた。かたくて苦労して食べた。食べた後「どうでした?」って聞かれた。「まずかった。」なんて言えないでしょうが。しかしそういう店があってもいい。
 禁煙の喫茶店、携帯電話禁止の喫茶店、ピカピカの床のオシャレな喫茶店、ストレートコーヒーしか出さない喫茶店、星条旗を掲げてる喫茶店、掲示板にコーヒー・チケットがずらりと張ってある喫茶店、お客さんが並ぶほどコーヒーがおいしいけどコーヒー飲んだらすぐ出て行かないといけないような喫茶店、いろいろあっていい。現に行きたい人が居るんだからそういう店が成り立つんだ。
 はっきり言って、いるか喫茶はそういう茶店ではありません。しかし、いるか喫茶も何となく普通じゃない雰囲気がして初めての人はとても入りづらいという事を聞いた。偏屈なおやじがやってんじゃないかとか、コーヒー飲んだら必ず誉めなきゃならないとか、オーディオ設備に感心しないといけないとか、常連が居て誰の席とかいろんなしきたりがあるんじゃないかとか、果ては麻薬の密売所になってるんじゃないかなんていう想像をした人も居る。「最悪でも殺されはしないだろうから。」と覚悟を決めて一人で入ったという女の人も居る。それらの先入観は、全くの誤解です。いるか喫茶はそこらにあるただの茶店だ。コーヒーが特別おいしいわけでもない。自家焙煎、煎りたて、挽きたて、サイフォン1杯立てとか自家製ベーコンとか言っても凝ってる割にそんなにたいしたことはない。多くの人を納得させるほどの実力なんてない。オーディオにやたらお金をかけてるわけでもない。カウンターだってあいてりゃ誰が座ってもいい。良くわかんないしきたりなんてあるわけない。変ってると言えば、土日祭日が休み(現在は日月祭日)という事だけ(土日祭日は僕も茶店に行ってコーヒーでも飲みたいから。)。もちろん禁煙じゃない。携帯がかかってくりゃでかい声で話す人も居る(BGMがかなり大きいから)。いいじゃないですか。畑で仕事して思い切り泥のついた長靴で休憩に入るおじいさんも居る。かまわない。床は汚れるもんだ。朝から晩まで隅の席で毎日勉強してる人も居た(時々寝てたけど。)。その人は今、研修医になって忙しくてめったに来れない。 そのようにいろんな人が居てみんな違ってて、誰にだって語るに足りる人生がある。それは、言葉じゃなくてその人を含めた「場」で語られる。
 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」にひたってる人も居た。僕にとっては古すぎてどうでもいい曲だ。でも、ひたってもらえるということは、いるか喫茶の存在意義を与えてくださることだし、とてもうれしいし、そういう場を演出すると言えるほどの大それたことはできないけどできるかぎり邪魔したくない。さらに、そういうときに手があいてれば、どんな曲でも耳を清まそうと思う。音楽を聴くというより、その場で語られる物語を拾い読むために。たとえキース・ジャレットのケルンコンサートがかかっていたとしても。



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