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目次

     ☆ ささやかな空間 (2001/10/02)
     ☆ おじさん、おばさん (2003/07/09)


ささやかな空間 2001/10/02

 「海辺のカフカ」の始まりのほうにこんなことが書いてあった。「世界にこれほど広い空間があるのに、君を受け入れてくれるだけの空間は―それはほんのささやかな空間でいいのだけれど―どこにも見当たらない。」
 サラリーマンだった頃、よくそういうことを思った。書こうと思っててついつい延ばし延ばしになってる手紙の返事や、スケジュールがごちゃごちゃ書いてある手帳の片隅にほんの数行でいいからその日の締めの何かを書きたいのにそれができない。職場では無理。家に帰ったら寝転んで野球かニュースを見て寝てしまう。ほんのささやかな空間さえあればそれができるというのにそれが見当たらないまま生活の中の未完了がいたるところにできていく。おかしいな。子供の頃はそういう時間や空間は努力しなくてもいっぱいあったのに。時間は何とかすれば作れる。でも、空間というのは難しい。通勤の車の中ではシートベルトで拘束されてるし走り出したら目的地に着くことしか頭にない。喫茶店に入っても騒々しかったりせかせかしてたりでどうも居心地が悪い。
 コーヒーがあって、適当な音楽がかかってて誰からも邪魔されないような場所。どこにもなけりゃ自分で作りたいな。職場の会議で誰かと誰かが延々と堂々巡りのお話をしているときなどにそんなことをあてもなく考えていた。考えてるといくらか堂々巡りの時間は速く過ぎた。まあ現実から逃げてただけの話。
 今、喫茶店をやってる。そこが自分の思い描いていた空間になってるかと自分に問いかけてみて、自信のある答えを今はまだまだ返せない。所詮現実逃避から出てきた構想だけに現実に直面すると脆いものがある。まあ気長に時々問いかけることだけは忘れずにやっていこうと思う。原点というか、出発点がわからなくなったらおしまいだと思うから。



おじさん、おばさん 2003/07/09

 われわれの年代で自分のことをおじさん、おばさんと思ってない人はほとんど居ないと思う。いい年だ。お互いを男の子、女の子と思っていたのは25年位前になる。その頃は時間の事なんかほとんど頭になかった。思いついたら行動してた。考える前に動いていた。たとえ、何の足しにもならず、非生産的なことにでもやるべき事と感じたら惜しみなく時間をさいて没頭していた。しかし、40歳を過ぎるとどうも時間が気になる。体力とか能力が下降傾向にあることもあるけどそれをするのにどれだけの時間がかかるのかということを考えたりして、二の足を踏んだり、やりたくてもできないことや、やりだしても未完了のことが静かに堆積してきている。空間の軸に時間の軸を加えないことには生活が成り立たなくなってきたのだ。結局やるべきことは、やらなければならない事に優先順位を奪われてしまっているということなのだろう。
 だから1ヶ月に1度でいいから余計なことに縛られずに空間や時間を純粋に自分でプロデュースしたいと思う。せめてひとりでゆっくりできることがささやかなやるべきことなのだと思う。いるか喫茶はそのようなわれわれの味方です。お互いを男の子、女の子と思っていた頃に流れていた曲もジュークボックスにたくさんあるはず。おおぜいでわいわいするには向きませんが、ひとりでゆっくりするにはいいと思いますよ。



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